毎日が仕事と節約と孤独の日々を送っていると、
一日という価値がなんだかものすごく低くなっているとこの頃感じるようになります。
縁起でもない話かもしれませんが、
「今日という日は亡くなってしまった人が必死になって生きたかった一日なんだ」
というような言葉があります。
これは生きているということをとてもありがたいことだと感じる言葉ですが、
ある意味では自殺をしてしまうようなことを防ぐための言葉でもあります。
ただ借金をしているときに感じることは、
「今日という日は新たに利息による損失が増えていくという一日なんだ」
という風に感じてしまいます。
これは借金が無くならない限り債務者にとっては付き纏う悩みの種です。
子供のころのように朝起きたら毎日「今日は何をして遊ぼう」とか「今日はどこへ行ってみよう」
なんて感覚が今の私には完全に欠落しているように感じます。
「今日はどんな仕事をこなしてやろう」
せいぜいこんな事を思うのが関の山です。
人間って大人になるにつれて不幸になってしまう悲しい生き物なのかもしれません。
それでも一日をまた生きていくことにありがたいと感じてしまうのも事実としてあります。
不幸だと感じられることがある意味生きているという証拠なのかもしれません。
いつも読んでくださる皆さんに感謝致します。
おか